光得寺(厨子入大日如来坐像)
運慶作「厨子入大日如来坐像」で知られる。足利義兼がこれを背負って諸国をまわったといわれている。19基の五輪塔も必見だが現在は別の場所で保存処理中。
- 住所:足利市菅田町892
- 電話:0284-41-1978
運慶作「厨子入大日如来坐像」で知られる。足利義兼がこれを背負って諸国をまわったといわれている。19基の五輪塔も必見だが現在は別の場所で保存処理中。
空海上人が水源農耕の守護として弁財天を祀ったのが始り。御供石、弁慶の手割り石、石割楓などの巨石が国指定天然記念物になっている。
空海上人が水源農耕の守護として弁財天を祀ったのが始り。御供石、弁慶の手割り石、石割楓などの巨石が国指定天然記念物になっている。
足利四代忠綱が父母の供養に寿永元年(1182年)に創建。足利義兼公と時子夫人の守り本尊が祀られている。春の枝垂楼が小さく品良く咲く。
足利長尾の五代政長が創建したもので、”己を無にして他のための尽くす”を教えとする。安産子育て、ぼけ除けの延命地蔵尊が祀られている。
時宗の開祖一遍上人の法孫が、遊行中、荒廃した寺の再建に尽くされたと伝えられている。平安末期(1143年)創建、仏舎利泰安の寺である。
長尾景名が(長尾城主三代)が西宮町の長林寺に祀ったものを、明治元年の神仏分離令により、長林寺から通6丁目に遷座し厳島神社となった。
足利長尾家の菩提所として初代景人が創建した。元禄時代から明治維新まで続いた修行道場の伝統を継承し、今も参禅会などを開設している。
慶長8年、代官小林重郎左衛門が領地繁栄を願って、摂津の国西宮神社に勧請し創建。毎年11月19・20日に行われる恵比寿講は大変賑わう。
寛政5年の建立で江戸末期までは「明石弁天」といわれていた。今日では御祭神「市杵島姫命」の分身で「美人弁天」として知られている。